【AIに追い越せ、追いつけ】私たちはどこへ向かうのか?

こんにちは。
ChatGPTや生成AI、ロボット技術など、日々ニュースで見かける「AI」。
気がつけば、絵を描き、音楽を作り、文章を書き、診断し、さらには人間の表情や感情までも理解し始めています。

ふと思うのです。
「AIに追い越されているのでは?」
あるいは、
「私たちはAIに追いつこうとしているのでは?」

数年前まで、AIといえば「単純な処理しかできない存在」でした。
ところが今、AIは小説を書き、論文を読み、投資の助言をし、病気の兆候さえ見つけ出します。

わたしたちが夜遅くまで悩んでいたプレゼン資料を、AIは数秒で作り上げてしまう。
迷っていた文章を、見事にまとめ直してくれる。
まさに、「追い越された」と感じる瞬間です。

でも、AIは人間じゃない。
感じること、悩むこと、愛すること、迷うこと…
そういう「不完全さ」こそが人間らしさであり、AIにはまだ届かないように思います。

失敗することで学び、感情で決断し、矛盾と向き合いながら生きていく。
それを「効率が悪い」と言ってしまえばそれまでだけど、
“人間らしさ”は、決して効率では測れない。

面白いことに、人はAIに負けたくないと思う反面、
その進化に刺激され、自らも学び直し、考え、創造しようとします。

もはや「AI vs 人間」ではなく、
**「AIとともに、どう進化するか」**の時代です。

だからこそ、追い越されることを恐れず、
むしろ追いつこうとする努力の中に、新しい未来があるのかもしれません。

AIに追い越されても、私たちは止まらない。
知恵と好奇心、感性を持って、また一歩前に出る。

もしかすると「追い越せ、追いつけ」というのは、
AIと人間が共に進む、未来へのかけっこなのかもしれません。

そのゴールはまだ遠く、時に道に迷うかもしれないけれど、
進み続ける限り、私たちには可能性があります。

未来を悲観しすぎず、過信もせず。

AIとともに、私たちらしい走り方で生きていこうなんて思います。

営業部 藤増

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